思い出の年輪

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こんばんは。いちだよ。

 

いやぁ、最近は忙しいというか、忙しくしなきゃという感覚で、ブログなりゲームなりを閉じ込めているよ。論文を書かなきゃいけないからね。

 

忙しくしなきゃという思い込みが、論文を書くこと以外の他の事をすることに対して罪悪感を生み出すから、必然的に論文にまわされる時間が増えるってワケ。これを書いている今も、少し罪悪感を感じているよ。

 

そんな罪悪感を感じつつ、先日iPhoneSEを注文したんだけど、今日届いたよ。移行作業に若干手間取って、LINEのトーク履歴とか吹っ飛んでしまって、別に何か失ったわけでないけど、何だかそわそわするね。

 

思い出とかって、きっと人の中に年輪のようにつみ重なっていくものだけれど、その年輪をバウムクーヘンみたいに切り分けていった時に、事実だけが詰まっていくものじゃないよね。感情とか、雰囲気とか、そういう何となくふわふわしたものが事実の間に詰まって、思い出の味として刻まれていく。

 

そういう意味ではLINEのトークとか、ブログとか、手紙とか、現実に存在したことだけを映し出すものって、自分が曲げてしまったものを正してくれそうで、手元に置いておきたいんだよ。

 

この文章も、間違いなく自分が書いていることだし、いわゆる「黒歴史」として未来に引き継がれるのかもしれないけれど、自分の歪み切った年輪を整えるための苦い薬だと思えば、それでいいでしょう。

 

でも、はやく、罪悪感を感じずに、色々とやりたいな。途中で投げ出すことも出来るだろうけど、博士号は取りたいんだよね。だって、博士ってカッコいいでしょ?

 

大学入学してから、同じ分野を9年間勉強してるんだ。いま負けられないんだよ。